自主保育なる活動を始めて早一年。
色々右往左往しつつ、考えるところあり、ゆる~く進んでいる。
私が大事思っている事に、大人と子どもの信頼関係がある。
まずは、親子の信頼関係。これが強ければ、子どもは安心して親から離れられるし、戻っても来られる。
第2に、その子どもと親以外の大人との信頼関係。親以外に信頼できる大人が周りにどれだけいるか、子どもにとっては重要だ。
第3に、子ども対子ども、そして大人対大人の信頼関係。ここがしっかりする事で、子どもは思いっきり喧嘩したり、遊んだり、自分の世界に耽ったり、個性を出し切れるのではと思うし、それに対し大人も余計な口出しをせず見守れるのではと思う。
月に一度、関東近辺で自主保育活動をしているグループが一同にあつまる会があり、プレーパークと呼ばれる場所で行われる。
先日その会に参加した時はパートナーとHのお母さんが話し合いに出席、二男はパートナーに預け、息子大智とHは私が見ることになった。
Hはぐずる事も無く、楽しく遊んでいた。しばらくして、二人とも電車ごっこが好きでぐるぐる走り回っていたら、お互い相手を見ておらず、頭突きで衝突。「ゴンッ」と音がして二人とも地面に崩れ落ち、わんわん泣き出した。
「痛かったねえ」と二人を両脇に抱え抱きながら、頭を撫でる。息子はともかく、Hは「お母さんの所に行く!」と言い出すかなあ…と思っていたら…。
二人とも泣くだけ泣いたら、すっと遊びに戻っていった。
たったこれだけのことだけれど、私はもの凄く嬉しかった。
Hが自主保育に来た頃は中々お母さんから離れられず、少し姿が見えなくなると「お母さん、どこ?」と泣いたものだった。それが、こんな事があっても普通に遊んでいるHを見て、その成長に感心した。同時にそれは、お母さんの成長でもあった。親子の成長だった。
そして、手前味噌ながら、私に対する信頼も出来つつあるのかな~…なんて、それが嬉しかったのだ。
その日の話し合いのテーマは「友だちが何人(小学校に行くまで)必要だと思う?」がテーマだった。
親の意見、子どもからの意見、様々だったらしいが、興味深かったのは、自主保育を卒会していった子どもは、「友だち」という認識は、あまり無いらしい。
友だちは、基本的に気の合う、好きな人を選ぶだろうし、お付き合いするだろう。幼稚園なら、大勢の中から友だちを選ぶことが出来る。
しかしながら、人数も少なく、最初から人が限定されている自主保育では、好きであろうと無かろうと、付き合っていかなければならない。子どもは、選べない。
だから、ずっと緒に居た仲間は、「戦友」もしくは「兄弟」のような感覚だとの事だった。
余り好きでない人間と、コミュニケーションをとっていく。これは凄く貴重な体験だし、コミュニケーション能力が非常に鍛えられる。
社会に出れば、嫌いな人間とも、何らかの形でお付き合いしなければならない。しかしそれがうまく出来れば、そのコミュニケーション能力は強い味方で、武器になる。
苦しい状況の場所は、コミュニケーション能力が高いと思う。好き嫌い問わず、互いに手をとって力を合わせなければ、乗り切れない問題だらけだからだ。私は南米での生活に、それを感じていた。なんと嫌いなもの同士が、うまく折り合いをつけて付き合っていることか!
「気の合う人間」だけの集団は、それそこの良さは認めつつ、そんな人間に限定してのお付き合いは、私は気持ち悪くて出来ない。発展が無いもの。転がらない。
「価値観の合う人と結婚したい」という意見を良く聞くけれども、個人的には違うものを持っている人とのお付き合いの方が、会話も飽きなくて、好きです。